ドラマの話

2007年10月12日 【雑記】
仕事の時間帯も関係しているとは思うけれど、私はドラマというものをほとんど見ない。
というか、テレビ自体あまり見ない。
スポーツ中継と、ニュースが限界。
あ、笑点は好き。

まぁ、そういう家庭に育ったからというのもあると思う。
生活にテレビが必要無かったし、無くても特に困らなかった。
テレビアニメを見るより新聞を読んでいる方が多かった。
マンガ本を読むより、ミステリィ小説を読んでいる方が楽しかった。
そんな変な子どもだった。

マンガとか読みはじめたのは中学生くらい。
ゲームとかはじめたのは高校生くらい。
でもそれは新聞やミステリィに飽きたからというわけでは無く、私の趣味に追加されただけのことであった。

社会人になってからいちばんはまったマンガで、過去を合わせてもいちばん好きなマンガがドラマ化されることになった。
安野モヨコの『働きマン』。
仕事で時間までに帰れないので、録画して、帰宅後に見た。
こんなふうにまでして見たいと思ったドラマは久々だ。
今週初回だったわけだけれども、すごくいい、とも、最悪だ、とも思わなかった。
全員が原作を一回は読んでいるんだな、という感じ。
つまりは、ストーリィが変わるわけでは無いので、本質は変わらない、ということ。
注目されて、原作を手にとってくれる人が増えるといいな、と思った。

世の中が、「一所懸命働くのがかっこわるい」みたいな流れになって欲しく無い。
これは原作者の安野氏も言っていたことだけど。
「働くのが偉い」っていうことじゃあなくて、生きているほとんどの時間を「働く」という行為をして過ごすのだから、それを充実したものにしたいと考えるのは当然だと思う。
それに、かっこわるいとかそういう風に言う人が居たら「じゃあ一所懸命働かないのがかっこいいの?」と聞きたくなる。

ちなみにこの「一所懸命」という表現。
私は昔から「一生懸命」ではなく「一所懸命」と使ってきたが、作中でもこの表現について触れられている部分がある。
微妙なニュアンスの違いではあるが、私は「一所懸命」という方が好きだ。

作中、最も嫌いな部分は、弘子が恋人の新二に
「ヒロ見てると、出来ない自分が嫌になる。別れよう」
と言われる場面。
これを言われたときの絶望感がすごくよくわかる。
そんなこと言われるためにがんばってるんじゃない。
私は別にできるわけじゃない。
何でそんなこと言うの?
何でがんばろうとしないの??
何でやりもしないうちから出来ないなんて言うの???

人はそれぞれにやりたいことがあって、するべきことがあって、守りたいものがあって、打破したいものがあって。
ただそれを貫き通せばいいだけのこと。
とても単純で、簡単なこと。

私はもし専業主婦になったとしても「仕事とアタシどっちが大事なの」等ということは絶対に言わない。
どっちも大事に決まってるじゃない。

でも、がむしゃらに全力投球すればいいってもんじゃあない。
スタミナを考えて。
配分を考えて。
配球を考えて。
「体幹」というものの大切さ。
中心が安定していないと、すぐに倒れてしまう。

ずれてきたけれど、働くことだけじゃあなくて、一所懸命になれる人ってかっこいいと思う。
このマンガでは「一所懸命」を「働く」ということに重点を置いているというだけのことで、別に「働く」でなくてもなんでもいい。
私もそんなかっこいい人になりたい。
だから一所懸命がんばる。

と、がんばってると「出来ない自分が嫌になる」って言われちゃうのがオチなんだけどね(苦笑
そういう劣等感にはうんざりです(と、つよがってみる

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