すきな人のことを自分の脳内に取り込む、といったことをよくやる。
これは、幼少期からの癖である。

おとなしく、引っ込み思案だったわたしは、友だちを作るのが苦手だった。
その代わりに、自分のなかに他人を取り込んで、その人と脳内で会話をするという遊びをしていた。

すきな人をよおく観察して、その人のパターンを分析する。

こういうとき、こうする。
こう言ったら、こう返す。

そうやってその人をトレースするのだ。

こうして蓄積したデータを使って、すきな人と、脳内で会話をする。

すべてが脳内での出来事のため、たいていは平和だ。

けんかをすることもない。
きらいになることもない。

ただただ、おしゃべりをするだけ。

すべてが都合の良い方向へと進む。
なぜなら、わたしの脳内で構築されていることだから。
わたしにとって、都合の良い方向へしか進まない。

だからこそ、現実世界で逆のことが起こったときの落胆は大きい。

むしろ、たいてい逆のことが起こる。

最近は、逆のことが起こった場合の防御法を覚えた。

「脳内会話を行う際、“この会話が現実になることはきっとない”」と思うこと。

悲しいけれども、これが一番効果的である。

脳内で会話をすること自体が悲しいことだとは思わない。
むしろ、平和的である。

ただ少し悲しいのは、肌のぬくもりが感じられないことだけである。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索